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障害者

心臓死・脳死臓器移植に反対?賛成?臓器売買を行うことは?

更新日:

臓器移植をする人

どうも、だいちゃん(∀)(@syusoretujitu)です!

脳死臓器移植に対しての議論は臓器移植法改正後もあとを絶ちません。脳死臓器移植どころか、心臓死臓器移植ですら反対だという意見も出ているほどです。

そこで今回は、現役人工透析患者でもある私が臓器移植や臓器売買について語らせていただきます。

心臓死・脳死臓器移植に反対?賛成?臓器売買を行うことは?

私は脳死臓器移植も死体臓器移植もいずれも賛成派です。

そして、健常臓器移植(生きている人からの臓器移植)は例外を除いて(例えば親族からの臓器移植など)は反対派です。

現状、日本は諸外国と同様に臓器不足解消を目指して私の思想のような方向で進みつつあります。

しかし、現代法哲学講義という本の中(P343~P365)では、

  • 脳死臓器移植も死体臓器移植もいずれも反対
  • 健常臓器移植(生きている人からの臓器移植)は例外を除いて(例えば親族からの臓器移植など)は反対

と、臓器移植をほぼ真っ向から否定しているように書かれていました。

本書の内容は一般的には馴染みが無く、難しいものということもあるので、私なりにブログ風に臓器移植について書かせていただきます。

ツッコミどころなどがあると思いますので、遠慮なくツッコんでいただければとおもいます。

臓器移植全般について反対な方々の意見

バツをする女性

臓器移植に反対している方々は概ね、偏った思想の方が多いのですが、本書に関しては偏った思想を持った方が書いた、という感じではありませんでした。

現代法哲学講義の内容、著者が臓器移植全般に反対な理由を私は、

  • 臓器売買は弱い立場の人間に拒否権が無い場合などがある
  • 死体臓器移植が普及すると、臓器移植の為の殺人などが組織的に起こる可能性が増加する(社会秩序の混乱を招く)

と解釈しました。

そして、本書は2009年の臓器移植改正時に行われた、オプトイン方式(臓器移植には脳死判定、死者本人の提供意思の明示が必要)という考え方からオプトアウト方式(拒否表示が無ければ臓器提供意思があるとみなす)となったことにも同様の問題を提起しています。

この考え方に関して、私は臓器移植賛成派ですが、理解出来ます。

倫理的にも、本書は「死者のかけがえのなさ」という部分に関して触れているので、人工透析患者であり臓器移植を待ち望んでいる身である私としても納得の出来るものでした。

移植医療を町おこし産業に用いようとするアメリカのピッツバーグ州では、脳死ではなく心臓死をもって「人の死」と判定します。その為、蘇生措置を行わずに2分間患者を放置して志望と判定した後、ドナーとする。

蘇生措置を迅速に行わないのは倫理的にも医療行為としても如何なものかと私は思います。

こういった臓器売買に酷似したような行為が、海外では行われているということを鑑みると、日本でも同じことが起きかねない。

だから、臓器移植には心臓死でも反対であるという方々の意見も分からなくはありません。

しかしそれでも私は臓器移植、特に心臓死臓器移植に関してはもっと普及すべきだと考えています。

私が臓器移植全般に対して賛成な理由

丸をする女性

私はネット上などで臓器移植に関する発信を度々行なっているからなのか、

「お前自身が人工透析患者であり臓器移植を待ち望んでいるから臓器移植に賛成しているんだろ!! 残された遺族の感情は無視か!!」

と罵声を浴びせられることも多々あります。

しかし、私はそういった感情論を抜きにしても臓器移植に対して賛成派です。

健常者であった20歳までもずっとその考え方で生きてきました。

理由としては至極単純。

「結局、死体は火葬して無くなるのに臓器だけ遺体に残しておく意味が分からない」

ということです。

遺族感情に関して主張する方々の気持ちも分からなくは無いですが、やはり私の主張は変わりません。

何故、彼らは火葬を許せて、臓器摘出は許せないのでしょうか。

そう、本書は「死体臓器移植と死体の埋葬について」という視点が欠けているのです。

本書は、死者を会社法上でいう「株主」だと位置づけていました。つまり、意思決定権は死者にあるので死者が意思表示をしていない限りは意思決定権は死者本人にあると。

臓器移植にしてもそうです。

だから患者の意思表示が無い場合に、臓器提供意思があるとみなすのはおかしいと。

しかし、この理論でいくと「死者の埋葬」に関して、意思表示が無ければ誰も関与出来ないことになります。

ですがこの部分を、「身体の自己所有権理論」(自分の身体は自分のもの)という理論から考え、死者の身体・遺体を「資産」だと仮定してみます。

すると残された遺族に「資産」である死者の身体・遺体が相続され、遺体をどうするのかは遺族が決めることが出来ることになります。

そういった形で理論を組み立てていくと、本書の主張は一貫していますし、臓器移植を待ち望む当事者としても「感情論を抜きにすれば」納得の行くものになっています。

ただ本書に書かれている理論は全て、臓器移植を待ち望む患者側からの視点が抜けているんですよ。

どこを探しても患者視点からの理論展開がされていないんです。

まず、

  • 死体臓器移植が普及することで臓器移植目的の殺人が増える可能性がある
  • 臓器移植を健常臓器移植ですら認めては臓器売買などが増える(赤の他人を親族だと偽る等)

という懸念、社会秩序の乱れに関してですが、これは臓器移植を否定し、こと臓器を腎臓に絞って人工透析に話を持っていくと、人工透析に関しても犯罪が増える可能性があるわけです。

人工透析患者は身体障害者1級、殆どの方は障害年金の等級が2級になります。(人工透析による合併症が酷くなれば障害年金1級になる可能性もあります。)

障害年金の等級が2級だと1ヶ月あたり、6万5千円ほど障害年金が支給されます。

臓器移植が全く許されない世の中になってしまった場合、臓器移植を待ち望む方々の命が救われないのは勿論なのですが、

「障害年金を搾取する犯罪が増加する」

という可能性があるわけです。

臓器移植が出来ないのですから、赤の他人を親族だと偽って臓器移植を違法に行うことが困難になります。

すると、今度はわざとに腎臓を悪化させて人工透析患者を作り上げ、障害年金を搾取するという犯罪が起きてくる可能性が浮上してきます。

犯罪はどんな形であろうと、作り上げようと思えば作り上げることが出来る。どうやっても防ぎようが無いのです。

だったら、火葬して無くなってしまう、いわば捨ててしまう臓器を今生きている臓器移植を待ち望んでいる患者に与えることのほうが有益でしょう。

身内を亡くした遺族には申し訳ないのですが、

遺族感情 < 命

です。

遺族感情を全く無視するわけではございませんが、やはり火葬してしまう臓器で救える「命」があるのであれば、その臓器で「命」を救うほうがよっぽど本書で書かれている「かけがえのなさ」という部分を大切にすることに繋がるでしょう。

臓器移植はマイナス面とプラス面の両方から考えよう

ハートに聴診器をあてる医師

他にも、移植医療を町おこし産業に用いようとするアメリカのピッツバーグ州の、遺体に蘇生措置を行わずにドナーとして用いるという例を持ち出しても、そこは法規制をしっかりと行うことで、そういった事態を防ぐことが出来るはずです。

「こういったことが起こる」ということを考え、懸念するだけでなく「どうやったらそれを防ぐことが出来るのか」を考える必要があります。

この場合、

「どういう法規制を行えば、アメリカのピッツバーグ州のような事態を防ぐことが出来るのか」

を考えるべきでしょう。

本書は当たり障りなく臓器移植に対する「懸念材料」ばかりを提示していますが、臓器移植が臓器提供を望む人間に対して現在出来る医療行為として最も有効な手段であると、本書も臓器移植反対も賛成派も認めていることから、

「どうやったら臓器移植を犯罪や倫理的におかしいことを防ぎ、行うことが出来るのか」

と考えるほうが臓器移植に対する全ての思想の方にとって良いはずです。

懸念ばかりを全面に押し出してネガティブキャンペーンを行うよりも、臓器移植によって救える「小児の命」のことも含め、懸念材料を提示して臓器移植に反対するのではなく「どうやったらそれを防ぐことが出来るのか」ということを考え、もっと臓器移植を推進する方向で考えなければならないのではないでしょうか。

日本はただでさえ少子化ということも含め、「小さな命」は大切にしないといけません。臓器移植に反対する方々はこの「小さな命」を見殺しにするのですか?

「小さな命」よりも遺族感情のほうが大切ですか?

小さな命でなくても、遺族感情は「命」より大切なものですか?

遺族感情を大切にするあまり、「命」を疎かにしてしまっていませんか?

この辺りのこともよく議論しないといけません。

もう一度書きますが、私の回答としては、

遺族感情 < 命

です。

臓器移植で救える「小さな命」とDDR

風邪をひいた子供

ちなみに、臓器移植反対派はよく「脳死は人の死」という部分について主張してきますが、小児に臓器移植を行うには小児は本人に提供意思決定権が無いため、オプトアウト方式(拒否表示が無ければ臓器提供意思があるとみなす)を用いなければなりません。

小児の命を救うことを考えれば、脳死は人の死と考えることは必要なことだと私は考えています。

本書はDDR(デッド・ドナー・ルール)に基づくと、「生体移植こそが原則であり、死体移植は許されないと解すべきである」と書かれていますが、その理論だと小児への臓器移植は小児が生きている状態で行うことになります。

(※デッド・ドナー・ルールとは、「臓器を得る目的でドナーが殺されないようにする為の倫理的・法的規則」のこと)

少し感情論が入りますが、この考え方は火葬して無くなる臓器を移植に使うことよりも残酷な考え方でしょう。

腎臓は2つあり、片方あれば生きていくことは出来るのでまだしも、この考え方だと心臓など1つしかない臓器の移植は出来ません。当たり前ですが、心臓を摘出すると人間は死んでしまうのですから。

しかし日本の臓器移植で小児に一番必要とされている臓器は「心臓」です。

こういったことを考えても、「生体移植こそが原則であり、死体移植は許されないと解すべきである」という考えは小児の命を救う気が無い残酷な思想です。

本書が掲げている「かけがえのなさ」はどこにいったのでしょうか?

本書は「かけがえのなさ」という部分を主張しつつも、「かけがえのなさ」を疎かにしてしまっています。

これは倫理的にも問題があるでしょう。

 

こういったことを全て踏まえ、私は臓器移植には全面的に賛成派です。

心臓死・脳死臓器移植に反対?賛成?臓器売買を行うことは? まとめ

臓器移植を受けた人

本書著者、及び編集に携わった方々には、

  • 臓器移植と遺体の埋葬について
  • 臓器移植が完全に出来ない世の中になった場合に増える犯罪
  • 臓器移植によってアメリカのピッツバーグ州で行われている蘇生行為を行わない医療に対する法規制の方法

という視点について聞いてみたいものです。

まあ「哲学」の世界の話ですから、答えが無いのは当然なのですが。

私は、私の考えが完全に正しいとは思っていませんので、本書に書かれている意見を受け入れた状態で私の理論を展開させていただきました。

正直、この議論は不毛な議論です。

一番良いのは、iPS細胞などで人工的に臓器を作り上げて臓器移植をすることです。

それができれば、今行っているような不毛な議論が不必要になる。遺族感情も、臓器移植が必要な命も両方を尊重することが出来るのですから。

ひめちゃん
難しい内容だったけれど、イタイイタイ(人工透析)をいつもしている、だいちゃん(∀)ならではの記事になっているね!
だいちゃん(∀)
そうだね。僕は理屈っぽい人間だけど、普段は理屈っぽいことはなるべくブログに書かないようにしているからね。でも今回のテーマは「法哲学」だから難しいのは仕方がないよね。
ダイスケ
臓器移植反対派も賛成派も感情論で語る人が多いからこそ、必要な記事だと思いますお。

だいちゃん(∀)

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ブロガー&YouTuber&フリーライター 1級身体障害者 年間500冊ほどの本を読む読書マニア。勉強好きの資格マニア。簿記や法律に強い。 障害者関連の記事を執筆するのが得意。 暗い記事も書くけど、なんだかんだで自分の事をスーパー障害者だと思ってる変な人。お笑い好き。 インターネット上の嫌われ者www

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