どうも、だいちゃん(∀)(@syusoretujitu)です!
多くの人が「死にたい」「自殺したい」と口にしている人は死なない、という勘違いをしています。じゃあ、その根拠は? と聞いても「なんとなく」「自分の経験上、周りの人間がそうだから。」そういう答えになってくるでしょう。
自殺したい死にたいあなたへ「私のおごりで飯でも食べないか?」
正直、人間一人が経験出来ることなんてたかがしれているので、「自分の経験上」なんていうものは宛になりません。たまたま、自分の周りの人間に自殺した人がいなかっただけで、その人達も、もしかしたら自殺していた可能性もある。
確かに、「死ぬ死ぬ詐欺」のような、いつも死ぬ死ぬ言っていて死なない人もいます。そういった人がいるから、本当に自殺をしてしまうような人が誤解を受けてしまうのでしょう。なので、いつも死ぬ死ぬ言っているのに死なない人は、とにかく病院に行ってください。
その死ぬ死ぬ言っている人が、ただ単に構って欲しくて言っているのかといえば、そうじゃないケースのほうが多いはずです。
でも「死ぬ勇気」ってなかなか出ないんですよね。あとは、まだ理性が働いているか。そういう人は、精神的には病んでいますが、まだ正常な範囲なんですよ。「死にたい」と思ったことのある人なんていくらでもいると思います。ただ、口に出すか、出さないかの違いです。それってただの性格の違いですよ。
精神状態がだいぶ追い詰められると、死ぬことが怖くなくなります。実際、私は死ぬことが怖くありません。死ぬことだけでなく「恐怖」という感情があまりありません。でも、まだやりたいことが沢山あるので、昔のようには「死にたい」とは思わなくなりました。
「死にたい」と思う人は、本当に死にたいのではなくて、今の苦しい現状から抜け出したいのですよ。その方法が見つからないから、「自殺」という方法を選ぶわけです。その地獄のような苦しさから開放されるなら、自殺じゃなくてもいいんですよ。
例えば、「末期ガン」に自分がなったとします。その治療の苦しさは、40℃以上の高熱が出ている状態なのにも関わらず毎日、クソ不味いゴムのようなビーフステーキを何枚も無理やり食べさせられるようなものだと想像してください。(※重度の病気にかかったことの無い人でも想像のしやすそうな文章にしました。実際の苦しさとは異なります。)
それだけ苦しい思いをしても、病気が治る保証はどこにもない。
・髪は抜け落ちてハゲになる。
・性欲は落ちて、恋愛なども全く出来なくなる。
・食べ物の味や匂いは分からなくなる。
・身体はどんどん痩せてガリガリになっていき、心も身体も衰えていく。
・顔から笑顔はなくなり、頬がコケる。
・恋人はいない。
・両親もいない。
・友達もいない。
・貯金はどんどん磨り減っていく。
挙句の果てに、テレビや一般の人の話し声が、まるで自分の悪口を言っているように聞こえる。(幻聴)
知らない誰かが、自分を殺そうと部屋にやってくる恐怖がいつも付きまとっている。(被害妄想)
こういった状態で、ずっと生きていたいと思えますか? どうやって今の苦しい状況から抜け出せばいいですか?
そう。抜け出すのは非常に困難なのです。だから、「自殺」という選択肢を選んでしまう。
「死にたい」と言葉に出して言っているのは、まだこういった症状の初期段階に過ぎないだけで、遅かれ早かれ、「自殺」という道を歩む可能性を秘めている人です。
そういった人に、「じゃあさっさと死ね」と言う人間は、貴様がさっさと死ね!! そんな人間に生きる価値は無い。
普段は「死ね」という言葉が大嫌いなので使わないようにしているのですが、つい熱くなって使ってしまいました。
でも、大事なことは、「死にたい」と口にしている人には、説教などせずに、「じゃあ死ねば?」などと気軽に言わずに、ただただ話を聞いてあげて、どうにかして病院にかかって、しっかりと治療してもらうことです。
アメリカでは、自殺を試みて橋から飛び降りようとしている人を自殺から救う方法として、
「死ぬ前に一度、俺と一緒にピザでも食べないか? 死ぬのはそれからでも遅くないだろ?」
と言って引き止めるという方法が実際に使われています。そのあと、ピザを食べながら話を聞いてあげるだけで、自殺を辞める人がいるのです。
自殺の動機は複雑でも、止めるのは意外と単純な方法で止めることが出来るものです。逆に、「死ね」という単純な言葉でそういった人を殺すことも可能なのです。
自殺を考えているあなたへ。その前に一度、私のおごりで一緒にラーメンでも食べないか? ラーメンが嫌なら、君の好物ならなんでもいいよ。死ぬのはそれからでも遅くないだろ?
自殺したい死にたいあなたへ「私のおごりで飯でも食べないか?」 最後に
ただの綺麗事の文章かもしれません。それでも、この文章で少しでも救われる方がいることを私は願っています。
やらない善よりやる偽善。
私のブログにはあまりにも「死にたい」というキーワードで人が訪れます。だったら、少しでもそういった方々の力になれたら、と。しかし私にはこのように文章を書く事くらいしかできません。
本当にご飯を奢りに行くことは私は九州の田舎に住んでいるので難しいのが現実です。それでも、こういった気持ちを持っている人間がいる、ということをお知らせしたかったのです。
だいちゃん(∀)
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