どうも、だいちゃん(∀)(@syusoretujitu)です!
日本人には妊娠したら絶対に子供を産まなければならないという圧力が働いています。
でも、子供を育てるのはその子供を産む親です。子供を育てる自信がない、経済的余裕が無いといった理由で出産を諦める方もいます。
そういった方を責めるべきではないですよ。
『妊娠してしまったから堕ろす』という意思は尊重すべき
「結婚していて妊娠したのなら、必ず産まなければいけない」
日本人にはこういった考え方が意識の中に刷り込まれているように思います。しかし、例えばですが、遺伝するような障害や病気を持っていたり、高齢出産だと障害児が生まれる可能性があるから、万が一子供が出来てしまったら「堕ろす」、という意思は尊重すべきであり、批判すべきではないと私は考えています。
「障害児であろうと命というものは大切にすべき」
そういう考えも確かに理解出来ます。しかし、障害児を育てるというのは全ての親御さんになった大人が出来るというものではありません。
「育てる自信がない」
そういう人が無理に産む必要があるのでしょうか? むしろ、そういう人が子供を産んで育てる場合、下手をすると育児放棄に発展したりするわけです。
言い方が悪いですね。「自信」というものは最初の頃は皆無いものだと思います。ここでいう「自信」は、子供が嫌いだとか、作るつもりもなかったのに子供が出来てしまったというような、心の準備が出来ていないような状態を含める、と思ってください。
今、生きている人の人生が大切
一度、妊娠してしまって出来た命も大切ですが、今を生きている人の人生はもっと大切だと思います。その人が子供を、例え障害児や病気を抱えた子供じゃなくても育てる自信が無いのならば「産まない」という選択をすべきですし、そういう人が育てても子供が不幸になるだけであるし、ちゃんとした親元で生活できないと犯罪者予備軍が出来上がり、実際に犯罪を犯すような人格を持った人間が出来上がります。
障害や病気を抱えた子供だってそうです。ちゃんと計画して産んでから子供が障害や病気を抱えていたのなら、それはしっかりと責任を持って育てるべきであるけれど、事前に検査などで障害や病気を抱えた子供が生まれる可能性が非常に高いと分かっていたのなら、それは堕ろすという選択肢を選ぶ必要もあると思います。
だって、今生きているその人の人生が子供を産むことによって狂ってしまうのならそれはとても不幸なことです。今生きているその人の人生を尊重すべきです。
子供はペットではない
犬や猫を飼いたい、というような感覚で子供を産もうと考えている大人が時々います。しかしただ、自分が子供が欲しいだけで、産む、産まない、と考えてしまうのは安易すぎるのではないでしょうか?
でも、確かに障害を持った子供が自分を不幸だと思うかといえば、必ずしもそうではありません。障害を持って生まれたけれど、生まれてきて良かったと思う可能性だってあるし、そういった子供を育てる親御さんが不幸だと感じるとも限りません。でも、そういった親御さんが全てではありません。
子供はペットではないのです。ペットも簡単に捨ててはダメですが、現実問題、簡単に捨てることが可能な世の中です。でも子供は法律上のことも含めてそういうわけにはいきません。なので、法律上可能な期間に「子供を堕ろす」という選択肢は批判すべきではないし、選択肢の一つとして肯定的に認めるべきなのです。
『妊娠してしまったから堕ろす』という意思は尊重すべき 最後に
この文章は、実際にある程度の年齢がいっていて発達障害を抱えた私の友人と共に話した内容です。その友人は女性で、実際に子供が障害者になる可能性があるのならば産みたくないかもしれない、という風なニュアンスで話していました。
それとは別に、産むつもりもなかったのに避妊もせずにセックスをして妊娠してしまって、そこで母性が生まれてしまったのか、シングルマザーでも産みたい、と言い出した私の友人もいます。頭悪いんじゃないの? と思いましたけどね、正直な話し。
そんな親の下で育っても子供は不幸になる可能性が高いと私は思うからです。
そういった話しを含めて、「堕胎」というものを否定的ではなく、もっと肯定的に考える必要があるのではないかと思い、このような文章を書きました。
(私の抱えている腎不全という障害は別に遺伝はしませんが、もし障害者が産まれるとわかっていたら、私も堕ろしてほしい、という可能性もあるからです。)
このようなナイーブな内容の話しには色々な意見があると思います。あなたの意見をお聞かせください。
だいちゃん(∀)
この記事が良かったらTwitterやFacebookなどのSNSで拡散宜しくお願いします!
はてなブックマークボタン「B!」をポチッとも是非!
Twitterもやっていますので、フォロー宜しくお願いします!