どうも、だいちゃん(∀)(@syusoretujitu)です!
タイトル以上でも以下でもありません。頑張りたくないんで健康な身体を下さい。
私は1級身体障害者ですが常にこう思っています。障害者だからといって頑張らなければならない理由が分からない。
頑張りたくないんで健康な身体を下さい。
頑張りたくないんで健康な身体ください
「障害者は頑張って生きている。」
よく世間で言われている言葉です。障害に負けずに頑張って色々なことにチャレンジすることを忘れていない。そういった人も確かにいます。でも、大半の障害者は「障害」に負けて、心まで障害者になっている人が多いように思います。
私自身も比較的軽度ですが鬱病などの精神疾患を抱えています。これはまぁ、病気に負けたというよりは、私の患っている病気の方はなりやすい病気、ということなだけなのですが。
でも、私は思うのです。別に障害者は頑張りたくないんですよ。少なくとも私はそうです。普通でいいから、普通の生活が送りたいだけ。でも、普通の人より頑張らないと、というより頑張らないと仕事もさせてもらえない、イコール飯を食うことが出来ない。みんな飯を食うために、生きる為に頑張っているのです。
そんなの健常者だって一緒だって?
そうなんです。だから、障害者が特別に頑張っているわけではないのかもしれません。ただ、同じ距離を走るにしても、健常者は普通に走って、障害者は重りのようなものを抱えて走っている。そのくらいの違いなのかもしれません。でも、この違いはかなり大きいと思います。
「頑張っているね~!」
嬉しいですよ。こんな風に声をかけてもらえることは。でも、正直、私に関しては頑張りたくないので、健康な身体が欲しいです。
多くの障害者は賞賛を求めている
でも、こういった考えは私がひねくれているだけで、多くの障害者は賞賛を求めています。
私の知り合いには耳の全く聞こえない聴覚障害者の男の子がいるのですが、とあることで彼と共同作業をすることがありました。
あまりの手際のよさに、スマートフォン片手に文字で、
「君がいてくれて助かったよ。ありがとう!」
と話かけました。すると、普段は一人で行動している彼ですが、とても嬉しそうにしていました。
そんな姿をみて、なんだか私も嬉しくなりましたね。
★★★
障害者の中には、施設の中で一生を過ごす人もいます。働かなくていいから羨ましいと思う人もいるかもしれません。でも、彼らのほとんどは社会に出て働きたがっています。働かなくても生きていけるのに、です。
何故かといえば、やはり「賞賛」を求めている。人の役に立ち、社会の役に立ち、そして人に褒められる。健常者にとって当たり前のことが、障害者にとっては贅沢なことなのです。
だから、障害者は不器用な人が多いですが、働く気力の高い人は本当にずば抜けて高いです。
でも、私は頑張りたくないので健康な身体を下さい。そしたら頑張ります。
障害者は同情なんて求めていない
私はインターネット上などでよく喧嘩を売られるので、
「障害者だからって同情してもらえると思ってんの?あぁ!?」
みたいな絡まれ方をすることが多々あります。でもね、障害者はもともと普段からも同情なんてほとんどされないんですよ。だから、別にそんなもの求めていません。
あと、こういう言葉を平気で使う人もいます。
「可哀想」
この言葉には人を見下す気持ちがこもっています。無意識のうちにね。だから、そういう人よりは、同情なんてしてもらえると思うなよ! と言う人のほうが正直者なのかもしれません。
でも、同情はいらないけれど、手伝って欲しいことや理解して欲しいことは沢山あります。全部は無理でしょう。自分も、ほかの障害者のことを全部理解出来ているかといえば、全く理解出来ない障害の人もいます。それでも、私は私なりに「理解しようと努力」はしています。
理解は、出来る出来ないじゃなくて、しようとするか、全くしないか、だと思うのですよ。「しようとする」ことが大切なのではないでしょうか。
でも、私は辛いので同情してください。というか健康な身体をください。
頑張りたくないんで健康な身体ください 最後に
何度も書いたかもしれませんが、障害者は別に頑張りたくないし、頑張っているね~なんて言葉よりも健康な身体が欲しいんですよ。それは当然のことですよね。
でも、飯を食うために、生きていく為に仕方なしに、足に重りを付けたまま健常者と同じコースを走っているのです。人生というね。
ほんと、頑張りたくないし、頑張っているね~!なんて言葉いらないので健康な身体をください!!
だいちゃん(∀)
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