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人は知らず知らずに他人を差別や偏見の目で見ている

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どうも、だいちゃん(∀)(@syusoretujitu)です!

精神疾患を抱えている人は、未だに差別や偏見の目を向けられることが多い。まあ、どうしても自分が鬱などになったことがないとそういう人たちを理解できないのも分からなくはないけど。

でもさ、そういう差別や偏見は減らしたほうがいいよね。

ちょっと最近、そういう精神疾患者に対する差別や偏見について思うところがあったから筆を執った。

だから、最後まで読んでもらえると嬉しいな。

目次

差別や偏見は「無知」から生まれる

最近、年下の子たちと話すことが増えてきた。

俺の半分くらいの年齢の子と話すことも増えてきた。

その子たちは別に差別主義者でもなければ、人間的におかしな子たちでもない。でも、こういう書き方をすると「老害」と言われてしまうかもしれないけど、若さ故に無知さが目立ったんだよね。

その子たちはね、精神疾患者の話になった時にこういうことを言っていたんだ。

  • 死にたい死にたい言っている人は絶対に死なない
  • 自殺する人は人にそのことを話さない
  • 鬱になるのは甘えている証拠
  • 心療内科や精神科にかかることは甘え

結論を言うと、全部間違っている。そんなことはない。

上二つに関しては俺がこういう文章を書いたとしても共感を得ることは難しいかもしれないね。何故なら、リアルでもネットでも「死ぬ死ぬ詐欺」を行う人は結構いるから。結構どころか、そういう人のほうが多いんじゃないかな。

でも、だからこそ、本当にSOSを出している人が助けを求めた時に「かまってちゃん」「甘え」だと言われてしまうんだと思う。

上に書いた四つを、少し紐解いて説明するね。

死にたい死にたい言っている人は絶対に死なない

死なないとは限らない。

簡単に「死にたい死にたい」って言って死なない人はいるし、構って欲しくて言っている人もいるから、そういう人しか見たことがなくて迷惑をかけられてきた人からしたらこう思いたくもなるんだろうね。

でもさ、「死にたい」って言っているのに死なないからといって、その人が悩んでいない訳じゃないんだよね。

この言葉の一つには「死にたいほど苦しくてその苦しみなら解放されたい」という言葉だったりするんだよね。別に本当に死にたい訳じゃない。だから、そういう人は死なないかもね。

あともう一つは「死にたいほど苦しくてその苦しみから解放されるなら生きたい。でも、それが出来ないなら死ぬ」という言葉の場合もある。

こういう人は「死にたい」と言葉にすることによって、なんとか生きる活路を見出そうとしている。でも、見出すことが出来ない場合、本当に死んでしまうことがある。

そして、絶対にこういう人たちにかけてはいけない言葉が「どうせ死なないくせに甘えるな!!」「どうせかまってちゃんだろ。死ねるものなら死んでみろ!!」という類の言葉。

精神的に追い詰められている人にこういう言葉をかけたら、死ぬつもりがなかったとしても勢いで死んでしまう可能性がある。後に引けなくなって自殺してしまうことがある。

だから、安易に自分の経験談や体験談で決めつけて、人を追い込むような言葉をかけては駄目なんだ。

自殺する人は人にそのことを話さない

結論を言うと、自殺する場合もある。

「今から自殺します」

こういう言葉をネット上なんかでも見たことがある人はいると思う。

ネット上にはこの類の言葉が乱立していて、本当に自殺したい人のSOSなのか分からなくなってしまっているのも分かる。

でもさ、身近な人がこう言ってきたとして「自殺すると言っている人は絶対にしない。本当に自殺したいほど追い込まれているならそんな話できない」なんて、その自信どこから沸くのかが俺には理解できない。

正直、自信過剰という言葉が適切なのかは分からないけれど、敢えて言わせてもらう。自信過剰だよ。

その人はもしかしたら「自殺したいという気持ちが強いけれど、誰かが止めてくれるなら気持ちを静めることが出来るかもしれない。だから誰かに話そう」と思っているのかもしれないよ。

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あなたが最後の相談者なのかもしれない。

なのに、そのあなたが「どうせ自殺しないでしょ。甘えるな」と言ってしまうと、その人は自殺してしまう可能性があるよ。だから、安易に決めつけで言葉を発しないほうがいい。

鬱になるのは甘えている証拠

これは、流石に差別発言。

いつの時代の考え方ですか? 体育会系だと言えば許されるとお思いですか?

ってくらいには差別発言だから。

根性さえあれば鬱にならないなら、医者はいらないから。それなら、心療内科や精神科じゃなくてスポーツジムを代わりに作れって話になるよ。

いやまあ、身体を動かすのも鬱の予防にくらいにはなりそうだけどさ。

体育会系の部活や職場だと未だにこういう考えが蔓延しているみたいだけど、流石に時代錯誤で無教養すぎて頭が痛くなる。

しっかりと、このくらいは基礎教養として勉強してね。

心療内科や精神科にかかることは甘え

これは、「癌になったからといって病院で治療するのは甘え」と言っているのと同じくらいトンデモ発言。

普通に働いているサラリーマンやOLでも心療内科や精神科にかかりながら働いている人も多くいる世の中で、こういう発言をするのは本当によくない。

多分、こういう発言をする人は鬱を「病気」だと思っていない可能性があるね。そこはしっかりと言うけれど、病気だし、なんなら障害者認定される人もいるからね?

どれだけ精神力に自信があっても鬱になる人は鬱になる。

というか、そういう自信が過剰過ぎて鬱の兆候があるのに意地でも病院にかからない人の方が危険。

むしろ、自分を何か知らの精神疾患者だとしっかりと自覚して病院にかかっている人のほうが、病院に全くかかっていない潜在的な精神疾患者より安全ですらある。

こういう発言をする人がいると病院にかかることを躊躇う(ためらう)ようになる人が増えるから、絶対に言わないようにしようね。

最後に 無知は罪

身の回りの人に自殺者がいない、精神疾患にかかったことがないのは幸せなことだしその方がいいんだけど、だからといって知識がなくて差別発言をしてしまいました(てへぺろ)は通用しないんだよね。

いや、こんなことを書いている俺ですら知らず知らずのうちに差別や偏見の目で見ていることはあるし、なんならネット上のメンヘラに自分から積極的に関わろうとはしない。何故なら、相手をしているとキリがないから。

SNSでは精神疾患者を含め自分が面倒だと感じた人は、よっぽど今まで仲良くしてきた人でなければブロックも普通にする。なんなら、仲良くしてきた人でもブロックすることはある。

面倒なことは事前に回避する。

そういう冷たい性格の俺ですら、ある程度は自分の中の差別意識や偏見の目で見ることを減らそうとしているよ。

具体的にどんなことをしているのかといえば、関連の書籍・小説を読み、映画を見て、アニメを見て、漫画を見て、音楽を聴いて、知識や感性を高めるようにしているね。

「自分の経験したことがない、自分の周りの人が経験したことのないものは理解できない、されない」とよく言われているけど、それは知識を付けたり感性を磨けばカバーできることなんだよね。

「疑似体験」も体験の一種で、人は体験したことは結構考えるようになるから。

無知で無教養なのはその人の環境によるところがあるから簡単に責めることは出来ないけれど、無知や無教養は人を傷つけることに繋がる、ということは頭に入れていて欲しいかな。

「どんな人も傷つけない」なんていうことは無理だけど、減らすことは出来るから。

まあ、自分の出来る範囲でいいと思うけどね。

まず、そういう人に思いやりを持つには、自分自身に余裕がないと駄目だからさ。

そんな感じ。

じゃーね。

(執筆/だいちゃん(∀))

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